田舎暮らし

物資がない時代、羊を飼って編み物をしていたというお話。

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どうも!週末農家の平山です。週末はトマトのハウスを片付けるお手伝いや、ワサビ田の整地のお手伝いをしていました。

さて、僕はちょいちょい大家さんのお家に行くのですが、その理由の一つにおばあちゃんの昔話が聞けるからというものがあります。上田明子さんとおっしゃるのですが、御年88歳でありながら携帯メールを駆使してお孫さんとメールのやり取りをする、とてもお達者なおばあちゃんです。

上田明子さん

明子さんは20歳で徳地(現山口市)から嘉年にお嫁に来たのですが、以降ずっと農家として過ごされ68年間の嘉年の歴史の生き証人です。色々なお話を伺うのですが、今日はその中でも印象に残ったお話を紹介したいと思います。

毛糸の話

毛糸の話と題しましたが、50年ほど前の物資が無い時代のお話です。明子さんのお話を録音したものをYOUTUBEにアップしたので、以下からどうぞご覧下さい。動画はなくて、音声のみです。

(以下、全文書き起こし)

食べ物着るもの色々なものはね作りますよ、そやけどねぇ、それらでもあの頃は毛糸ちゅうような物はなかったんじゃからねぇ、綿羊を飼うて毛をとって組合に出して、毛を刈ってね、そんでその毛を組合に(加工場へ毛を)出して、加工してもろうてね、そういうことが思いやらにゃあちゅうのが正月から。

そりゃあんた、子供に着せるものが無いじゃない。そりゃあねぇ、子供に着せるちゅうていうても、その、毛糸ちゅうてても綿でつくったような、いっぺん洗ろうたらこれがこねいなる(袖が伸びるしぐさ)ような、物しかなかった。子供になんとか、私が小さい時に着よった毛糸の服ちゅうものを着せたいから、綿羊を飼うて、そしてその綿羊の毛を…そりゃね…4ポンドちゅう毛糸がもらえる。一頭でね。このくらいの毛を。で、4ポンド貰うたのを晩にねえ、じいちゃんやら、4ポンドあるから4人(分)程はできる。

そいじゃから、7人じゃから2年かかってろ、これいもありゃ。それはやりました。毛糸を、毛糸の服を子供に着せたいっちゅう一心があるわかれ。やけ、そうような気持ちで綿羊を飼うて、毛糸を作って夜、編み機でね、どうにもこうにも、じいちゃんを始めとしてね。まっさき、じいちゃんが家長じゃからねぇ。じいちゃんの毛糸の

平山「セーターですか?」

まぁ、カーディガンちゅうものをこしらえて、次が主人、からまぁ、子供が4人おるかららね。そやけその毛糸が(今も)有りますよ。

平山「あぁ、そうなんですか?」

ありますいねぇ。

平山「今も、そのカーディガンが?」

いや、編んだものが。やからねぇ、だいぶんのちに私が解いて編み換えたものもある。

まとめ

50年ほど前のお話なのですが、家族に毛糸の服を着せたい一心で、羊を飼うことからはじめて、昼は農作業、夜は3時頃まで編み物をしていたというお話でした。

生まれてからほとんどが平成の世だった僕には想像できない時代ですが、経験をしてきた人から実体験をお話してもらうことによって、確かにそんな時代があったんだなぁ…と感じます。

実はこのお話は明子さんが「火事にあって、気力を失ってから立ち直るまでのお話」のほんの一部分です。本当はそちらも編集してアップしたいのですが、この程度の長さの動画でも色々と反省点があるので、もうちょっと工夫します…。

「物語の里・嘉年」には、様々な物語があります。ぜひ嘉年にいらっしゃって下さい。ご連絡頂ければ、可能な限りご案内します。

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