嘉年

集落と神社:神田の場合

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嘉年の集落

嘉年には11の集落があります。

ひじょ~~に簡単に位置関係を書くと以下のようになります。
地図と照らし合わせると大変な事になりますが、だいたいこのようなイメージでお願いします。

嘉年の集落見取り図

で、今回はその1つ神田(こうだ)の集落の神社に参詣してきました。

 

神田の弥栄神社

「水出の泉」もある神田は、その名前からおそらく中世に寺社領の田があった地名だと思われます。幕末(1843年)に編纂された「注進案」でも神田(こうだ)と呼ばれているので、「こうだ」という呼び名もおそらくかなり昔からあったものと思われます。

神田の弥栄神社

これがその神社を遠くから眺めた図。ちなみに集落の裏山にあるといった形で、この前は家が十数軒立ち並んでいます。

弥栄神社の境内

神社の境内。木々の間から光が差し込みます。いい雰囲気です。

弥栄神社

神田は弥栄神社だったのですね!ちなみに集落によって神社の系統は違います。

弥栄神社の神楽殿後

昔はこの場所に神楽殿があり、神楽を行っていたとのこと。集落に人口が減った今は行わないですが、当時は盛大に行われていたのでしょう。

やはりそう考えると農村と神社は切っても切り離せない関係にあるなと思います。年中行事も嘉年に来てからその意味を実感する事が多いですし。

しめ縄

神楽はなくなったといえど、しめ縄は秋に作って奉納するとのことでした。昔は冬の間、牛を曳く綱?も藁で編んでいたそうですが、すっかりその風習は絶えたとのこと。どのような綱だったのか気になります。

集落に人が少なくなったので祭事は昔通りとはいかないですが、それでも集落の神様を守るというのはどの集落の人も考えていらっしゃるようです。農耕は様々な自然に影響されるので、自然信仰とともに歩んできたとは必然だったのだなあと農業に少しかかわるようになってわかりました。

都会にいると、年中行事なんて暦の上の出来事ですからね。(それが悪いと言いたいわけではありません)

ただ、農業を知ると日本人のルーツのようなものを確かな実感として学べるのは確かだと思います。

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